コーヒーとニキビと著作権。

 年明け初戦のお仕事週間に突入。まったくエンジンがかかりません。

 まず、最初にコーヒーに関して。前回の日記に書いた直後、コーヒーを淹れる用具一式を購入。コーヒーメーカーを買わずに、KARITA の一番安い陶器のフィルターとグラスポッド、ペーパーをそろえ、わからないながらも各箱の裏に書いてある通りの手順を踏んで、そこそこ満足のいくラテを作ることができました。素人ながら淹れ立ての香りは、なかなかのものです。

 ただ、スターバックスで出してくれる、ぶくぶくミルクは作れないので、もとい、作るのが面倒なので、冷たい牛乳を直入れしてしまう台無し具合。せめて牛乳を温めれば良いのですが、洗い物にミルクパンが加わるのが嫌なのです。ううむ、仕方なし。そうそう、1 日 1 杯と決めていたのですが、それでも体に刺激が強過ぎたようで、顔に普段出来ないニキビができてしまいました。そんな訳で、現在は火、木、土のみ、週に 3 杯までと決めてセーブしています。これまた仕方なし。

 さてさて、まったく話は変わります。著作権の保護期間を、現在の 50 年から 70 年に延長しようという動きがあり、喧々諤々の論争が展開されています。ううむ、書き手としては諸手を上げて賛成したいところですが、その恩恵に与る可能性すら、あるのかないのか微妙なところ。では、本の読み手として、もしくは音楽の聞き手、映像作品を見る側の立場としては、どうなのか? 反対……しておいた方が良いのかなあ?……という、どっちつかずな気持ちです。

 音楽のアルバムも、新作映画の DVD も、今は数千円という価格で手に入りますし、ましてや書籍などは新刊でも 2,000 円、文庫になれば何百円というのが相場。娯楽としては、そう高い代物ではありませんからねえ。また、作り手としても、盗作になるような形での再利用など、ナンセンスかも。そんな考えの上で、[ 青空文庫 ] などで述べられている反対理由を読んでみると、何をそこまで必死になっているのだろうと違和感すら覚えてしまいます。その主張を何回か読み返してみたら、何百円のために 「 作家よ、早く死ね 」 と、理屈という名の呪詛を繰り返しているようにすら思えてきました。確かに、知の共有こそがインターネットというものなのでしょうが、ううむ、ううむ、やはり何かにつけて権利主張が先に立つ人たちとは、話が合わないのかなあ。